Skip to main content

プロジェクトのアウトライン

箏の事々!

Image result for 箏曲

テーマは名前の通り、箏(こと)の事々です!もっと詳しく言うと、現代の箏曲について、すなわち今日的な箏の作曲や演奏、書きたいと思います。二年間箏を弾いたことあり、この音楽の伝統を皆に教えるようにしてみたいです。

このプロジェクトはトピックを少なくとも3つの部分に分かるでしょう。1)箏とは何でしょうか。こで楽器の構造や弾き方について話したいと思います。2)箏は昔からもらってきた楽器ですが、どういう歴史や伝統がありますか。箏はすごく古い楽器で、平安時代の源氏物語にさえ現れますが、時代が経て伝統の中にどんな変化がおこったでしょうか。3)箏曲は今にも生きている伝統です。現代の作曲家や演奏家を紹介したいと思います。

一番伝いたいのは日本の伝統的な音楽がまだ生きているものだというのです。今日の音楽界には作曲家は積極的に新しい箏の曲を作っており、そして日本以外の国々で箏曲の人気が高くなっています。

皆の大半は箏曲を聞いたことがないでしょう。もちろん、皆が箏曲と恋に落ちることを見込みませんが、日本の伝統的な音楽の世界を少し開けたいと思います。

Comments

  1. このテーマが大好きです!私が中国舞を踊る時、よく箏を使う音楽を聞いたから、箏の音がすごく好きです。私も伝統文化の守りに興味を持っていますから、このプレゼンテーション楽しみにしていますね〜

    一方で、この発表の結構の全部の三部分が説明の内容のことにちょっと心配しています。詳しい説明と紹介はもちろんいいですけど、あなた(すみません、お名前が知らないが。。。)自分の論点のような内容がないそうです。例えば、なぜあなたは箏が日本の文化に重要だと思いますか?現在、箏を弾ける若者の数字が増えていますか、減っていますか?そんな傾向についてどう思いますか?あなたが「皆の大半は箏曲を聞いたことがないでしょう」と言いましたね。では、どうして皆さんはそんなに美しい楽器にあまり了解したことがありませんですか?。。。等々。あなたの議論点を入れて、発表のメセージはもっと強くなるのではないでしょうか。O(∩_∩)O~~

    ReplyDelete

Post a Comment

Popular posts from this blog

ドラフト1:日本と宗教

日本と宗教 十河・アレックス  神道と仏教はよく日本の宗教だと言われている。だけど、「宗教」とは何だろうか。日本の場合には、その言葉と観念がどこからきたのだろうか。この発表では「宗教」という観念の発展を中心にしたいと思う。  まず宗教という言葉から始めよう。現代の辞書を引くと、次のような定義が出てくる。「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至るまで、世界各地に様々な形態のものがみられる。」(一)この定義は現代人にとって自然だろうが、もっと細かく見よう。以上の定義は4つの部分に分けられる。   1) 神・仏・超越的存在 。宗教の中心は人間よりもっと強い見えない力を持つ存在である。そして超越的なので、人間はこの力を直接に触られなく、儀式などほかの方法だけで経験する。  2) 聖なるもの。 聖なる、あるいは神聖というのを定義するのも難しい。「宗教の対象」という 循環論法 ( じゅんかんろんぽう ) 的な定義がよく見られるが、もう詳しく定義しなければならなかったら、「日常の 事柄 ( ことがら ) や 事物 ( じぶつ ) とは区別して扱われるべき特別の 尊 ( とうと ) い評価をもっていること。」(二)それで、宗教は超越的なものだけではなく、日常経験から隔てられたものである。   3) 人間の営み。 宗教は人間の行為で、あるいは生活の部分の一つである。宗教の定義の中にはこの点は少し新しい発展である。二十年ぐらい前、西洋の辞書は営み・行為・生活の代わりに、信仰を強調した。欧米の伝統的な宗教モデルは信じることを中心にして、行うことを放置していた。けれども、最近の研究は儀式・修行などを強調しようとしており、以上の定義は研究者の考えの中に起こった観念的な変化を反映している。  4)古代から現代まで・・・世界各地。 宗教は歴史上に各時代に現れ、そして各地であらゆる人間文化の部分になったものである。つまり、宗教は普遍的な観念だ。けれども、この論を 挑戦 ( ちょうせん ) したい。宗教は本当に普遍的なものだろうか。次にこの問題を尋ねる。  英語の辞書にある「 Religion 」の定義を読むと、すぐ分かるのは日本語の辞書の定義は英語から一語一語翻訳されたものだというのである。実は「宗教」という言葉は比較的に新しく

プロジェクト:日本と宗教

日本と宗教 十河・アレックス  神道と仏教はよく日本の宗教だと言われている。しかし、「宗教」とは何だろうか。日本の場合は、その言葉と観念はどこからきたのだろうか。この発表では「宗教」という観念の発展を中心にしたいと思う。  まず宗教という言葉から始めよう。現代の辞書を引くと、次のような定義が出てくる。「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至るまで、世界各地に様々な形態のものがみられる。」(一)この定義は現代人にとって自然だろうが、もっと細かく見よう。以上の定義は4つの部分に分けられる。   1) 神・仏・超越的存在 。宗教の中心は人間よりもっと強い見えない力を持つ存在である。そして超越的なので、人間はこの力を直接に触ることはできず、儀式などほかの方法だけで経験する。  2) 聖なるもの。 聖なる、あるいは神聖というのを定義するのも難しい。「宗教の対象」という 循環論法 ( じゅんかんろんぽう ) 的な定義がよく見られるが、もっと詳しく定義しなければならなかったら、「日常の 事柄 ( ことがら ) や 事物 ( じぶつ ) とは区別して扱われるべき特別の 尊 ( とうと ) い評価をもっていること。」(二)それで、宗教は超越的なものだけではなく、日常経験から隔てられたものである。   3) 人間の営み。 宗教は人間の行為で、あるいは生活の部分の一つである。宗教の定義の中にはこの点は少し新しい発展である。二十年ぐらい前、西洋の辞書は営み・行為・生活の代わりに、信仰を強調した。欧米の伝統的な宗教モデルは信じることを中心にして、行うことを放置していた。けれども、最近の研究は儀式・修行などを強調しようとしており、以上の定義は研究者の考えの中に起こった観念的な変化を反映している。  4)古代から現代まで・・・世界各地。 宗教は歴史上に各時代に現れ、そして各地であらゆる人間文化の部分になったものである。つまり、宗教は普遍的な観念だ。けれども、私はこの論に 挑戦 ( ちょうせん ) したい。宗教は本当に普遍的なものだろうか。次に以下問題を尋ねる。  英語の辞書にある「 Religion 」の定義を読むと、すぐ分かるのは日本語の辞書の定義は英語から一語一語翻訳されたものだということである。実は「宗教」という言葉は比