コメントを読んでよく考えた上で、ブログのトピックを全く変えた方がいいかもしれないと思うようになりました。プロジェクトの目的は自分の専門について話すことですが、先選んだ箏曲というトピックは趣味だけなので、専門的に説明することができないでしょう。そして、私がもっと深く知っている話題を選んだら、データより自分の意見の方を発表することもできます。
新しいテーマは神道と宗教です。今、平安時代の宗教を勉強している大学院生として働いているので、このトピックにもっと深く飛び込むことができると思います。
「神道と宗教」の中に、その「と」を強調したいです。今日、日本人と神道について話すと、「神道は宗教ではない」や「日本では宗教がない」とよく聞きます。けれども、アメリカの教育制度、特に大学の宗教学部の中に、神道は世界宗教の一つとして扱われています。なぜこのようなギャップがありますか。この問題について話したいと思います。
プロジェクトで、「神道」の歴史も「宗教」の歴史も説明するつもりです。この二つの言葉は別の歴史がありますが、19世紀にそのストーリーがお互いに交わるようになります。
「宗教」を定義する論から始めたいです。「宗教」というの言葉は19世紀に作られた翻訳語です。アメリカの軍艦が来日した1853年、日本人は「Religion」という英語の言葉を初めて直面しました。アメリカが書いた条約、特に有名な「不平等条約」の中に、「Religion」や「Religious Freedom」がよく出てきましたが、当時「Religion]に当たる日本語の言葉がありませんでした。「宗教」という翻訳語を作る過程について話したいと思います。
明治政府は新しい宗教の政策を成立しました。ですが、分類問題がありました。神道は宗教として扱うべきですか。結局、明治政府は神道は宗教ではなく、日本人の心を表す伝統だと決めました。この決定の影響を今までも感じられます。
明治政府は新しい宗教の政策を成立しました。ですが、分類問題がありました。神道は宗教として扱うべきですか。結局、明治政府は神道は宗教ではなく、日本人の心を表す伝統だと決めました。この決定の影響を今までも感じられます。
けれども、戦後歴史の研究者はこの「日本人の心」のイメージを攻撃し始めました。批判的な論が多かった。神道は日本で作られたものではない。神道は本当に道教だけです。神道は仏教の部分です。この批判的な声が今日も増えています。私はこの研究の動きを続けたいと思います。
「宗教」は問題的な分類だと伝えたいです。よく役に立つ観念ですが、時々誤る言葉です。神道は部分的に宗教ですが、宗教ではない面もあります。私のプロジェクトを見た後で、他の人々が批判的に宗教の分類について考えられるようになることは私の目的です。
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